いくつになっても楽しい事さがそ

人生たぶんまだ先があるの

転勤族どこに住むべきか悩む日々

お久しぶりですこんにちは。

 

1995年から転勤生活が始まり未だに賃貸生活を続けています。もう28年にもなる事に愕然。私は今年還暦を迎えました。まさかこの年になるまで転勤生活をしているとは夢にも思っていませんでした。

 

一般的には上の子が小学校か遅くとも中学校に入学するタイミングで家を購入するパターンが多いとは思っていましたが、小学校入学の前年に下の子が生まれ翌年には転勤になりそれどころではなく家を建てようとも正直考えていませんでした。

 

そして新任地での子育ての最中に上の子が発達障害だと分かりました。分かったところで何かして貰える訳でも治療がある訳でもなく本を読みながら試行錯誤の日々を過ごすうちに次の転勤で現在地に赴任してきました。

 

そして新学期が始まった長男がいじめに合い来たばかりの当地が親子で嫌いになってしまったのです。

 

翌年から「今年こそ転勤がありますように」と願う日々を重ねとてもここで家を建てて落ち着いて暮らそうとは思えなかったのが一番の原因なのかもしれません。

 

悲しい事に毎年あれだけ願った転勤も夫には全然声がかからず後から赴任してきた人が先に転勤してしまうような状況で心が折れそうでした。そうこうしているうちに長男が大学進学で家を離れ次男と3人での暮らしになりました。

 

いつも不満を言っていた長男が不在になり楽しく過ごしている次男と暮らしているとあれだけ嫌いだと思っていた当地が決して都会では無いけれどそれなりに暮らせるし犯罪も災害も少ない自然も美味しい食べ物もある事に今さらながら気が付いたのです。

 

そして次男にとっては物心ついてからの故郷になる土地。この時既に12年が経っていました。さすがに次男が高校卒業の頃には転勤だろうと思っていましたが残留。翌年の今春も残留。ここまでくると私が動くのが億劫になって来ました。

 

今春転勤が無いのがわかった時に「もうここに家を買いたい。落ち着きたい」と言いました。でも夫は「ここには買わない。買って転勤が決まって俺が単身赴任をするメリットが無い」。確かにそれはそうだと思います。でも既に私はあちこち調子の悪い身体を抱え病院を一から見つけるのは面倒だし、それなりに友人も出来たのにまた誰も話し相手の居ない生活に戻るのか…と不安にもなりました。

 

それと大学卒業後就職に失敗し長男が戻ってきたのです。発達障害だから…と思っていましたが悪い事に二次障害も発症していたので通院から始めました。生気のない長男の顔を見ていると不安で押しつぶされそうでした。

 

当地が嫌いで都会の大学に進学したのにまた戻ってきてしまい、このままではおかしくなってしまうのではと思いましたが、少し落ち着いてきた長男は都会は大変だった事、とりあえず知り合いは見かけないから平和な事、ここで仕事が出来るならそれでもいいと言い始めました。長男が通院している病院の先生もあまり環境をコロコロ変えない方が良いと言っていたのもありここに家を買った方がやはり良いのではないかと思いました。

 

ネットで物件を探して夫に度々見せましたが「そんな古い物件は嫌だ」「平屋がいい」「駅が近い方が良い」。そんな都合のいい物件なんてある訳無いのに…。それでも都会ではマンション一択になる所、当地なら駅近中古戸建ても可能性はゼロでは無いので諦めず探してはいます。

 

昨日は「長男の為にはここに家を買った方が良いかもなぁ」と夫が言っていました。夫の理想は会社勤めの間は家賃補助を貰って安く住んで定年時に現金で家を買う事だったようですが、それでは私ほぼ70歳なんですよ。70になってから引っ越しの荷造りとかできる気がしないし、誰も知り合いの居ない生活に本当に希望が持てなくて…。

 

年内にはまだ買わないと思いますが来春また転勤が無ければ本腰を入れる事になると思います。現実問題として家賃補助が出なくなるので。一番は家賃補助が出なくなる年月転勤させない会社に文句を言いたいです。

 

転勤するのが早いか家を買うのが早いかどちらだ…。普通はローンを完済してリフォームしたいとか戸建てからマンションへ住み替えという話をしている頃のはずなんですけどね。ではまたネットで探してきます。